ばぶれるりぐる「へちむくかぞく」(2019.11.14)

昨日はインディペンデントシアター1stにて、ばぶれるりぐる「へちむくかぞく」を見てきましたよ。例によって感想文。
昨年の旗揚げ公演から噂だけがバシバシ飛び込んで来ていた「高知県出身の作家による、幡多弁が飛び交う演劇」。
劇団名の「ばぶれる」も「りぐる」もネイティブ土佐人には普通に頭に入ってきますが、そうでない方にはきっと、ちんぷんかんぷんな言葉。それを劇団名に持ってくる主宰の方はいったいどんな人なんだろう?

「これは何とかして観ておかねば!」と思うも、過去の2回の公演はタイミングが合わずだったのですが、今回の出演に「窓の彼方へ」高知公演・須崎公演でお世話になった中道裕子さんがいらっしゃり、中道さんからご案内をいただいたことでさらに背中を押してもらい、強行軍で劇場に向かいました。

会場に入って驚かされたのが舞台美術です。
カウンターとボックス席、壁紙や扉や階段にまで生活感がにじみ出た、みごとなまでの田舎のスナック。ひょっとして幡多に実在するお店を再現したのかしら?ってくらいの出来です。

そして登場人物が現れ、繰り出す幡多弁!みごとな幡多弁!!「なしそうゆうことするがで!」とか、ああ、たまらん(女性が幡多弁を発するだけでメロメロになってしまう個人的体質)。このように土佐弁ネイティブには強烈な魅力がプラスされる幡多弁ですが、関西の皆様にとっては大丈夫なんだろうか?そういえばゴリッゴリの熊本弁が炸裂した田上パルの作品も、冒頭5分くらいは言葉の意味が分からず混乱したものの、あっという間に耳と脳が熊本弁に馴染んでいった経験を思い出したことでした。愛は言語を飛び越える(大げさ)。

物語は幡多のとある住居を兼ねたスナックに暮らしていた家族4人が描かれます。
「へちむくかぞく」という通り、みんなバラバラの方を向いてるような、でも背中で互いの存在を探っているような、普通じゃないけど、ある意味普通な、ギリギリ繋がっている家族。
きっとこの家族を繋いでいた存在のお母さん。そのお母さんが亡くなって、お葬式を終えたところから初七日までの数日間の物語。

この町を離れて、お正月には帰ってくるお兄さんと、この町に残り、母親の近くで暮らしている妹。
家族に対して、父親らしいことをしないままだった無口な父親。
三者三様の思いを持ち、けどその思いを伝えることも、相手の思いを汲むこともできず、一緒の場所にいることもしんどいような、ギクシャクした関係。うううむ、リアル…。
個人的には家族が衝突する序盤の回想シーンの父親の描き方、なんだか自分のこどもの頃の記憶が蘇るようで、胸がゾワゾワしたことです。

こんなリアルな緊張感が張り詰めた家族の前に突然現れる謎の若い女性。
彼女のありえないキャラクターと意外な事情に振り回されながら、少しずつ3人の距離や関係性が変わっていく様子を丁寧に、ある意味オーソドックスに描きながらも、テンポの良い演出で物語が進んでいきます。

彼女が言ってた「普通」ってなんだろうなー。
「普通の家族」ってなんなんだろうなー。
家族と言えばいつも浮かぶのが、ヒートウェイヴというバンドの「マイファミリー」という曲です。
「バラバラになった花瓶のように 家族はそれぞれの破片になり そこに咲いていた花たちに 二度と戻る場所はない」
文字だけだと悲しい言葉が、どこか乾いている音楽に乗せて穏やかに歌われるこの曲と、舞台上の愛すべき家族がなんだかリンクして見えたことでした。
エンディングで流れたドクター・ジョンの「Such A Night」もなんだかグッときましたなー。

ばぶれるりぐるさんは主宰の土佐清水出身、竹田モモコさんの一人演劇ユニットとのことですが、演出とフライヤーデザインのチャーハン・ラモーンさん、そして俳優として出演された澤村喜一郎さんも高知出身とのことでして、大阪の演劇界の中で、高知出身の皆さんが活躍されること、なんとも嬉しい限りです。
大阪と高知、それぞれの活動がどこかで繋がりますよう、こちらも日々精進せねば!
みなさんありがとうございました!

以下余談。
さすがに客席の中に知った人はいないかなーと思ってたら、現れたの高知県民文化ホールの濱口さん!
ヨーロッパ企画照明の葛西さん(蛸の階にも参加されます!)に紹介されたそうことですが、えらいこと忙しいはずなのにそれをものともしない濱口さんの嗅覚とフットワークの軽さよ!
こんな頼もしい仲間といっしょに、高知の演劇を盛り上げていくぞー!!