昨日は無理矢理お休みいただいて(ナイス上司、ありがとうございます)、四国学院大学ノトススタジオに東京デスロック『Peace (at any cost?)』を観劇に行きました。例によって感想文です(ネタバレ含みますので観劇予定の方は読まないように)。

会場のノトススタジオには今回初めて伺ったのですが、たいへん良い劇場でした。空間のサイズや舞台機構、吊り物など、これほど小劇場公演に特化した施設は四国にはないのじゃないかしら?四国圏からなら無理なく行きやすい会場の立地、充実している上演作品のラインナップ(10月の青年団企画もうらやましい限り)など、個人的にはこれからノトススタジオの距離がぐっと近くなりそうです。

そこで上演されたデスロックの新作。戦後70年、「平和」をテーマに、多田さんがどういう切り口で作品を作るのか?期待で胸を膨らませて臨みました。

会場に入ると、白いマットが敷かれ白い側幕に覆われた座席のない客席に案内されます。その客席中央には平和の象徴である白い鳩が回転しており、場内のお客さんに簡単な注意事項をはじめ、「ここは世界で唯一の平和な場所、どうぞ自由に平和を楽しんで」と不思議な自動音声でご案内を繰り返しています。

そして開演時刻になると、ロープで仕切りをしてあるエンドステージ部分(ここは平和じゃない場所だから立ち入らないでと案内があった場所)に夏目さんが現れ、日本国民・世界の国民が平和のうちに生存する権利を有するという、誰もがどこかで目に、耳にしたことのある宣言(日本国憲法前文)を行い、去っていきます。
その後、出演者が入れ替わりながら、テキストを読みあげていくという構成で舞台は進行していきます。

そこで読み上げるテキストは、政治家や活動家の演説や宣言、震災で我が子を失った母親の悲しみ、戦争を経験している詩人が紡ぐ言葉など、終戦から現在にかけて時期はバラバラ、立場もバラバラの人間が発する、平和への思いやメッセージたち。

このテキストは終演後にセットリストとして公開されたのですが、イラク戦争に一直線に進んでいたアメリカに一蓮托生していた、そして当時、国民から絶大な支持を集めていた小泉首相の、今聞くと寒気のするようなスピーチにものすごい違和感を感じたり(この当時の僕らの思考放棄っぷりはなんなんだ?)、1947年に発表された「第一回広島平和宣言」で読まれた、大きな傷を負い、未だ立ち直れない状況にも関わらず、これを機に平和に向かおうとする宣言を今の時代に聞くことの衝撃など、強い意味や力を持つテキストが、役者の身体を通じて発せられることで、それぞれが一本の作品になっていたように感じました。
その中でも響いたのは詩人の言葉でした。特に茨木のり子さんの作品は不勉強のため存じなかったのですが、佐山さんが読まれた「自分の感受性くらい」という作品には強く心をえぐられました。

終盤ではエンドステージ部分のロープを外し、客席の中に役者が入り、それぞれの平和への思いを繰り返します。やがてその声は、主張はどんどん大きくなり、混乱の度合いも深まります。きっと誰も間違ってはないだろうし、みんな平和を望んでいるんだけど、その平和のイメージは人それぞれで、じゃあ分かりやすいイメージ共有をするためにと「○○賛成、平和を守れ!」「○○反対、平和を守れ!」という短絡的な言葉を連呼する、そこに感じる思考放棄のイメージや、逆に戦争に近いイメージを受けて心がぞわぞわしている中で、唯一叫んでいないアクター(伊東さん)の静かに折り鶴をつくる姿が強烈に目に焼き付きます。

平和のために、祈ること。歌うこと。声を挙げ続けること。戦うこと。

きっと作品の中に答えなんかないし、受け取った側がどう感じ、考えるか。そしてどんな行動をするのか。
自分の中にもすぐに答えは浮かばないけど(昨日からずーっと「平和ねぇ…」って考え続けてます)、今回の作品を通じて今の時代や普遍的なものを考える、極上の演劇体験となりました。

デスロック、面白い。
演劇、面白い。