「CEREMONY」多田淳之介インタビュー(2014.06.09)

東京デスロック主宰・多田淳之介さんにお話をうかがいました。 東京デスロックは埼玉県富士見市民会館キラリ☆ふじみのレジデンスカンパニーを2008年から3年間務め、多田さんは2010年より同会館の芸術監督に国内歴代最年少で就任。公共ホールの在り方について模索する日々の中で見つけた演劇の可能性についてのお話は、私たちに様々なヒントを与えてくださいました。
近年の東京デスロックの演劇は、舞台と客席の関係性をあらためて問うような作品を多く発表しています。個性的な作品を次々と創り出す多田さんが演劇に込める思いとは…。

——今回、待望の四国初公演となります。はじめましての皆さんに、まずはそのインパクトのある劇団名「東京デスロック」の由来、そして劇団について教えてください。

多田:旗揚げメンバー3人中、2人がプロレスファンで、プロレス技の名前「デスロック」という、「この技にかかると死んでも抜けられないぜ!」みたいなところからとっています。旗揚げ当時は自分で戯曲も書いていて、人が絶対に逃れられない「運命」や「死」というものをテーマにしていたのも由来です。
2006年を最後に、僕が戯曲を書くのをやめ演出だけをするようになってから、劇団としての方向性はだいぶ変わってきました。シェイクスピアなんかの古典作品や、日本の近代作家を中心に、現代作家もやるし、今回の「CEREMONY」のような戯曲を使わない作品もやるようになりましたね。

——多岐にわたる多田さんの活動ですが、その中でも日本の歴代最年少で芸術監督になられた経緯について教えてください。

多田:東京デスロックは2008年から3年間キラリ☆ふじみのレジデンスカンパニーとして活動していました。それを通して公共劇場にも興味を持っていましたし、30代のうちに芸術監督になりたいとも思っていました。芸術監督はキャリアがないとなれない…みたいな現実も何となくありますよね。大きな劇場はまた別ですが、小規模で地域に添ったことをやっているような所に若い芸術監督が就く、例えばフランスでは若い人たちが郊外の小さな劇場で力をつけて中央へ出て行くっていう流れがあったりします。中央へ出ようってことではないのですが、こういう流れがこれからどんどん増えたらいいなと思います。

——富士見市はベッドタウンなのですよね

多田:そうです。だから昼間はほとんどお年寄りか母親か子どもしかいない。若者は見たいものがあったら自分から東京へ見に行くけど、じゃあ東京に行かない・行けない人たちと何をするか。まずは子どもと演劇を創ろうと。子どものワークショップはずっと継続しつつ、ただ遊ぶというようなこともしています。ワークショップはきちっと計画と目的がありますが、「遊ぶ」はその前段階というか、まずは劇場に足を運んでもらうということから始めてみようかと。月に一回くらい集まって、今日何して遊ぶから始まって(笑)

——自分たちの所(かるぽーと)を考えると、やはり来る子どもさんは習い事だとか親御さんが先駆的だとか、ちょっと特別な事情がないと来ない感じがあります。だからその取り組みはあらためてすごいなと思います。

多田:そうやって劇場に来ることに興味を持った子が、その次の段階としてワークショップに参加したり僕の演劇を見に来るとか、子どもにとって劇場がその頃の思い出になるっていうのも大事な事じゃないかな。そうしていくうちに彼らが大人になった時「劇場っていい所だよね」と言ってくれるようになって、それが直接劇場に関わるということでなかったとしても劇場の「味方」が増えるという形になればいいなと思います。

——それでは、横文字シリーズと名付けられているという(笑)、最近の作品の傾向について教えてください

多田:まず「MORATORIUM」(2012年)。これは震災後、電気も安定してきて、でも何が本当かっていう事は相変わらず分からない。そういう事を時間を置いて考える、でも考えない時間も必要じゃないかという作品です。(実験的なアプローチで、8時間の上演時間だったそうです)。
「REHABILITATION」(2012年)は客席と舞台を分けない会場で「東京」をテーマに作りました。多くの人は地方から出てきて東京に住んでいるのに、周りの人たちのことを「東京の人は…」って思っているような不思議な街。そこを考えたくて…。
「COUNSELING」(2012年)は静岡県のSPACという劇場で芸術監督をされている宮城聰さんをお招きして、僕とひたすらトークするというもの。東京で活動することの不自由さとか地方は良いとか、東京の悪口ですよね(笑)。 僕が宮城さんにカウンセリングを受けているという提で、実はそれを見ている人へのカウンセリングにもなっているという形になっています。
その次の平田オリザさんの代表作「東京ノート」(2013年)で東京での公演を再開しました。これは前3作をまとめて活かして作った作品です。東京での公演を再開したことで良いことも悪いこともありました。再開にあたって、あらためて東京のことを調べたのですが、観光地としては最高の土地ですよね、東京は。
「SYMPOSIUM」(2013年)という作品は関東で生きる人たちにとって何ができるか、大切かということを考えていて「喋ること」かなと思って創った作品。見ている方はひたすら喋っている人たちを見るっていうね、演劇を見に来たのに(笑)。でも戯曲があって決まっていれば演劇かというと違うと思う。それは「何をもって演劇とするか」という僕の演劇観が、他の人とは違うからですね。

——そして今回の上演作品「CEREMONY」のテーマは何ですか?

多田:儀式、儀礼。何千年も昔から続いてきたものだけど、なぜ儀式をするのか、なぜ必要なのかなと。
例えば朝の挨拶がないと「どうしたんだろう?」と思うし、機嫌の良し悪しも分からない。別れの挨拶もそうで「さようなら」がないとこれまたすごく気持ちわるい!それはどのタイミングで別れたのか分からないからです。分からない時にみんなで共有して確認するっていうのが儀式。人が死んだ時も、その人がいつ死んだか分からないから儀式をとり行う。「今日をもってこの世からいなくなりました」というのがあって初七日、四十九日があって、あ~彼は逝ったんだ…っていう事をやらないと、生きている人たちがどうしていいのか分からない。

——儀式はコミュニケーションの手段ということですね。

多田:人と人が分からないまま続いていくと生きて行き辛い。だから私たちで何かを決めようみたいなものかな。 一対一の関係でも分かり辛いから儀式で決めている。
本当にコミュニケーションの一つだけど、それに対してこんなに困っている日本っていうことをすごく考えます。子どもとのワークショップはコミュニケーションを体験してもらう事がテーマ。だけど、それは上手くさせるためじゃなくて、こんなに難しいんだよっていうことを伝えにいっている。将来おそらく海外から人がたくさん流れてくる、そんな世界に住むのは今の子どもたちで、じゃあ彼らはどうやってコミュニケーションを取っていくのだろうって思ったら、自分と違う価値観の人と触れ合う機会って絶対に必要だし、そういう面でも演劇って必要だなって思います。当然作品にもそういう側面があるわけで、だから客席がなかったり変わった形だったりします。

——今回も、いわゆる舞台があってそれをお客さんがただ座って見るという、一般的な形ではないと。

多田:ただ見ているだけだと、見えなくなってしまう事もある。せっかく同じ空間で他人同士が同じものを見ているわけだから、終わった後に感想を言い合うみたいな場があればいいけど、なかなかそんな機会もない。でも、せっかくそれぞれ違う感想を持っているのだから、それがなんとなく見てわかるような、自分と違う人たちがここに来ていて、同じものを見て帰っていくんだっていうことも含めて体験してもらいたい。そこを感じずに帰っていくっていうのはもったいない。

——"ここをぜひ分かってほしい"という作品に込める思いはありますか?

多田:"分かってくれ"ですか…うーん。ないですね!そういうふうに言うと何か「ちょっとずるい」みたいな、責任放棄じゃないのか?みたいな雰囲気が生まれるんですけど(笑)
人に何かを伝えるって難しいですよね。作品を創る上での動機は僕の中にもちろんあります。ただ、それが伝わるか否かで判断するというのはあんまり豊かではないなと。作者の言いたいことを探せ!っていうテストみたいになっちゃうのは違う気がする。僕はこういう意図で創ったけれども違う意見が来る方が面白いです。

——今回横浜・高知・福井と3ヶ所公演地を回りますが、その地域によって感想も大きく異なってくるのでしょうね。
昨年度のリージョナルシアター事業で高知の演劇人との繋がりもできたと思うのですが、高知の印象はいかがですか。

多田:お酒!!よく飲むなぁと。まずお酒の印象が強い。僕も好きなので、気軽に誘える感じがいいですよね。関東とかだとお酒好きなんだ…みたいなイメージだけど、お酒が好きなことがこんなにも普通というかポジティブなイメージで、何だこの国は?!みたいな(笑)

——高知の人はわりと恥ずかしがり屋なのですが、一度心を開いてくれた人にはわーっと行っちゃうみたいなところがありますね。

多田:「受け入れてくれる」っていう雰囲気をすごく感じます。

——地方都市で演劇が盛んなところはたくさんあると思いますが、今高知では自分たちの劇場という「場」が生まれて、中心となる人が生まれつつあり、そんな状態でもがいている。そんな中で多田さんたちとの出会いが刺激になったらいいなと思っています。

多田:全国的に色んな所で色んな形で頑張っている人たちがいて、高知もその一つ。僕もキラリでやっていて「あそこも頑張っているよね」と、お互いそれが励みになっているっていうのが大きいです。
まだすぐには何も変わらない時期で、上手くいってもそれは「奇跡」だったりするんだけど、その奇跡を積み重ねて信じていくしかないと思う。日本で演劇をやっていくっていうのはまだそういう時期。ワークショップで1人の子どもが変わった!ということも奇跡であって、そこでまた演劇の力を信じられるし辛い時も頑張れる。何度も高知には来られないけどFacebookとかを見て「あ、頑張っているな」って力をもらったりするんですよ。

——ありがとうございました!今回の公演がきっかけで、新たな刺激や新たな繋がりが生まれることを期待しています!
東京デスロック「CEREMONY」高知公演は7月18日(金)19:00開演です。たくさんのご来場お待ちしています。