(寄稿)季刊高知第64号「演劇特集の依頼を受けて」

いきなり個人的な話で恐縮ですが、自分は舞台芸術の仕事をはじめて今年で26年目になります。
当時の先輩方は今でも活躍をされてますし、自分自身まだ若手のつもりでいるのですが、今回の取材や原稿を書く中で、これまでの活動を振り返る貴重な機会になったなーと感じたことでした。

こんな機会をいただいた野並さんはじめ季刊高知の皆さん、取材や寄稿を快くお受けいただいた皆さん、ほんわかキャラで取材の雰囲気を作ってくれた門田カメラマン、本当にありがとうございました。

「吉田さんは結構なキャリアなので演劇にも相当詳しいのでしょう?」
いえ、実を言うと、演劇に対しては長らく苦手なイメージを持っていました。
仕事を始めた初期に関わったいくつかの演劇公演が「思想の押しつけ」のように感じてしまい、観る側の想像に委ねるようなことがない窮屈な表現だなー、それなら他の舞台芸術の方が自由で魅力的だなーと(途中いくつか良い作品と巡り会ったものの)誤解をしていたのが原因です。

そんな偏見を木っ端みじんに砕いたのが、2005年に見た大阪の劇団の作品でした。
当時の社会問題(自衛隊の海外派遣の是非)を見事に切り取りながらも、具体的な名称や事象は一言も語らない、押しつけがましい物語とは対極の、私的で詩的なエッセンスが溢れる、演劇でしか成り得ない作品。
そしてその作品を少しでも良いものにしようと舞台裏で七転八倒する劇団員の輝きに一発で惚れ込んでしまいました。

ちょうどその当時から高知の演劇人とも深く繋がる機会が増えました。
作品制作に向かう熱量や努力は音楽しかり、ダンスしかり、どの舞台芸術でも同じなのですが、劇団の持つ「共同体」の強さや「仲間が集まって何かをしでかそう」という共犯者のようなワクワク感。
舞台を創り上げるために必要な圧倒的作業量も演劇ならではかな?
まさに人生を捧げるような周囲の演劇人を見て「頑張ってる人にはできるだけのサポートをしよう」と、いろいろな劇団のお手伝いをするようになり、蛸蔵の運営や、自分の勤務する公共ホールでの合同公演の開催、少しずつできた演劇仲間とのひどい飲み会の数々を経て、今では演劇は自分にとってなくてはならない存在になっています。

今回の演劇特集で伝えたかったことを一言で表現するならば「劇場に来て!」です。
演劇は映画や文学と違い、同じ空間と時間に表現者と観客の両方が存在しなければ成り立たない芸術です。
観客は自由で、対等に舞台と向き合えます。
「好き」「嫌い」「あの子可愛いかった」「よく分からないけど、あの台詞が印象的だった」と、なんとでも感じてもらえることが、表現者の糧になりますし、そしてもし、劇場で自分が素晴らしいと思える作品と出会えたなら、きっと観劇後の数時間、場合によっては数日、ひょっとするとその後の人生を彩るほどの「心の豊かさ」を感じてもらえることでしょう。

心の豊かさを持ち、人生に彩りを加えた人が街に増えていけば、なんとも幸せじゃないかなー。
そんな夢想をしながら、これからも演劇に携わっていきたいと思います。