須崎市立市民文化会館のこと

すずむワークショップのお問い合わせの対応で須崎市立市民文化会館に電話したついでに、今の文化会館の機材類を確認しとこうとホームページを覗いたら、16年前に自分が須崎を辞める直前に作ってアップした内容(2001年1月更新)のままだった…。

軽くクラクラしたのと、若干のタイムスリップ気分。

2001年の僕よ、当時も楽しかったねー。
2017年の僕も楽しく元気でやってるよー。

このリスト類を作った当時、県内の文化ホールでホームページに図面や機材リストをアップする先駆けのような感じだったと思われますな。これからはFAXで図面を送るよりもデータをダウンロードする時代になるから、自分がいるうちにその環境を作っておかねばという使命感があったような気がする。

(以下昔話)

須崎市立市民文化会館には1996年、23歳の頃から5年間勤務させていただき、基本的な行政事務について教えてもらったり(初代館長の堀池さんは素晴らしい方でした。若手の育て方や護り方もそうだし、行政組織内の理不尽なことには「おかしいじゃないか!」と声を上げて行動する強い正義感を持った方でした。僕自身、少しでも堀池スピリットを受け継いでいきたいと思ってます)、とある補助事業で納入されたまま倉庫に眠ってたPowerMac8100/80AVを引っ張り出して、オノヤマさんにillustratorの使い方を教えてもらって、Mac大好き青年になったり、いろんなことを学ばさせていただきました。

オノヤマさんと立ち上げた音楽イベント「STEP ON SUSAKI」は、今思えば僕の「市民協働」の原点だったなー。片岡さんをはじめとする熱いみんなといっしょにイベントを作り上げる楽しみを教えてもらったのも須崎でした。
オノヤマさんの同僚のノブちゃんとは、フジロックやサマソニをいっしょに見に行ったり、いっしょにバンドを組んだり(このバンドには当時高校生だったオノヤマさんの長男・ヨーヘイも参加してた)、仕事も遊びも楽しい時間をいっぱいすごした街でした。

そんな須崎を離れたのは、高知市が建設する新しいホールに立ち上げスタッフとして参加したいという思いからでした。
須崎の皆さんにはいっぱい良くしてもらったのに、離れることが心苦しかったなー。でもそれ以上に、新しい何かにドキドキワクワクしていたことも思い出します。

高知市文化振興事業団からは2001年1月からの勤務を言われていたのですが、須崎ではじめて開催される劇団四季のファミリーミュージカルが1月末にあり、自分がその担当でもあったため、1月末まで須崎で働き、その翌日から高知に勤務をしました。
この劇団四季の準備やら引き継ぎやらで多忙を極め、思いっきり風邪を引き込んでしまい、高知には初日から高熱を出して出勤したのも思い出ですなー。

なんて思い出をしんみり語るのも、そう「須崎のまちの物語」があるからです。
それぞれに、関わった時間や季節に、いろんな街の記憶があります。
いろんな人のいろんな思い出が、どんな物語になるのか、楽しみだなー。
当時同僚だった宮本館長はじめ、須崎市立市民文化会館のみなさんとご一緒できるのも楽しみだ。

現在3名の作家陣が、ひぃひぃ言いながら作品に向き合っております。
みんな、がんばーれー!
繰り返しですがこの取り組みが、どうか良いものになりますように!