アサヒアートフェスティバルの思い出
昨日のアートマネジメント講座「あなたの活動に文化芸術はどう貢献できるのか?」を受講して、アサヒアートフェスティバルのお話がよく出てきたので、思い出話をひとつ。
インターネットが急速に普及して個人の情報発信が飛躍的に拡がった2000年前後。
まだSNSはそこまで普及しておらず、地域ごとに面白い活動をする人が集ってアートNPOが組織されたり、新しい形態のアートイベントが立ち上がったりする中で、アサヒアートフェスティバル(以下AAF)の出現は凄いインパクトでした。
いろんな興味深い事例がどんどん紹介される中「これだったら自分らもいけるんじゃない?」ってART NPO TACOのメンバーで話をして、自分が立ち上げていたイベント「ホリカワアートミーティング」で応募することに。
応募数は結構あったようでしたが、書類選考を通過し、アサヒビールの本社ビル(通称う○こビル)で行われた公開二次審査に単身乗り込むことに!
一次選考を通過した全国の団体の方が集い、各団体10分+質疑5分だったかのプレゼンを行うのですが、基本当日乗り込み・当日戻りの旅費しか出ないために、午後イチ開始の16:00終わりで15~16団体の発表を行うギチギチのスケジュールにも関わらず、機材トラブルなどでちょっとずつ押していく時間…。
すっかり主催者側の気持ちになって、途中からプロジェクターを繋いだりのサポートもし、自分の発表の時もできるだけ簡潔に、少しでも巻かねばと慌てながらプレゼンをし、最後もバタバタで帰りの飛行機に乗り込んだことでした。
バタバタはしたけど「地域資源や人、アートの力を使った課題解決」などなど、他の方のプレゼント比較しても、これは取ったんじゃないかな?と自信満々だったのにもかかわらず、結果は残念ながら不採択…。
結果、隅田川のたもとの松屋にカレーを食べに行っただけという、悲しい日帰り東京でした…。
後になって、自分が応募した2007年度は前年に四万十国際音楽祭が採択されて翌年も継続して補助が出ており、当時のAAFはできるだけ全国を網羅していきたいという事情もあったのかなーなんて思ったりしたのですが、当時のモヤモヤを昨夜の懇親会でやっと加藤さんに伝えてすっきりしたことでしたw。
しかし、その後の2次会、3次会はひどかったなー。
久しぶりに死屍累々の我が家でした…。もうおさけのまない…。