立本夏山一人芝居「智恵子抄」(2018.07.01)
昨日は蛸蔵にて立本夏山一人芝居「智恵子抄」を見てきましたよ。例によって感想文。
立本さんについてはわたくし存じあげず、どういう経緯で今回の演劇祭に参加されたのか不思議だったのですが、聞くところによると浜田あゆみちゃんが2015年に池袋で行われたアンジェリカ・リデルさんというスペインの演出家のワークショップ公演で共演されたことがきっかけだそうでして、いやはや、あゆみネットワーク、恐るべし。
ということで予備知識ゼロ(唯一の予備知識はフライヤーのワイルドなイメージのみ)で観劇しました。
会場に入ると、レーザーで人の輪郭が壁に投影され、裸電球が不規則に並び、中央付近にモニュメントが並んでいる舞台構成。客席は壁際に並べられており、ほぼ蛸蔵全体がアクティングエリアの模様です。
暗転し、音楽が流れ、最初に立本さんの声を聞いた時「えっ?なんだこの響き方?」と衝撃を受けました。
抑揚をつけながらもある瞬間は鋭く、そしてある瞬間には包み込むような声。
ピンマイクで拾ってショートディレイかルームリバーブをかけているのかと思ったけど、どうやらそうでなく、肉声でこの響きを出しているみたいだ!
おそらく暗幕で囲わず、壁をそのまま出したことで響きがさらにはっきり出たと思うのですが、それでも一人の俳優の声に、ここまで衝撃を受けたことはなかったなー。
裸電球は唯一の舞台照明として機能し、各電球ごとに調光をかけています。
透明なガラスに覆われた、フィラメントの細い線がなんだか切ない。薄く明かりが灯ったと思えば消えたり、激しく点灯したりと、そのまま智恵子の生命のようにも見て取れます。
薄明かりの中、詩を語りながら踊る立本さん。わずかな光量で激しい動きをする場面では、まるでコマ送りのようにも見えて、目の前の舞台空間が現実ではないような、違う世界が拡がっているような、でもそこでひとつの愛にもがき苦しむ肉体はリアルそのもので、いつの間にか完全に智恵子抄の世界に没入していました。
いやー、凜とした、素敵な舞台でした。
きっと演劇祭KOCHIのラインナップに並んでいなかったら見逃していたかもしれないなー。
この作品と出会う機会を作ってくれた、あゆみちゃんに感謝です。
今回動員では苦労したようですが、立本さんの作品がまた高知で上演されることを願っています!