劇団文化座「銀の滴 降る降る まわりに」(2019.11.26)
昨日はかるぽーと大ホールにて高知市民劇場例会、劇団文化座「銀の滴 降る降る まわりに」を観てきましたよ。例によって感想文。
事務局の浦田さんにも怒られるほどの幽霊会員となっている市民劇場さん。
今回もザ・新劇と言って良かろう文化座さんで、作品は沖縄を舞台にした戦争もの。
(これはしんどそうやな…)と観劇前は重い気分だったのですが、ごめんなさい、観劇前の自分を怒鳴りつけてやりたいくらいの素晴らしい作品でした。
舞台は、首里にある古い一軒家。日本軍に徴用されて「炊事班」と言われる、各部隊に食事を作り、届ける用務の拠点として使われています。
舞台転換のない「一杯飾り」という舞台だったのですが、照明音響を駆使した場面転換・時間の経過の描き方がとてもスタイリッシュで、自分がイメージしていた新劇とはまったく違う!
そして俳優の皆さんの力量が素晴らしく、特に発声の見事さったら!と、自分の偏見を恥じ、目から鱗がポロポロと落ちまくる観劇体験でした。
そして物語。
そもそも「炊事班」という言葉すら知らなかったわたくし。
確かに兵士にも食事は必要で、食事を専門にする任務というのもあるのねー。
ただしこの炊事班は、兵隊と言いながらも武器も持てない人たちで、何かしらクセのある、やらかした、個性の強い若者で構成されていました。
その中でも当時「二級国民」と言われ差別を受けていたアイヌ出身の富田と、沖縄で現地徴用された中里という2名の青年を軸に物語は進みます。
それぞれに何かを抱えた炊事班の若者達と、曹長、隊長というそれぞれの正義を持った上司。現地に住む区長さんとおばあの老夫婦、そして徴用された女学生。
作品で描かれるのは戦争の悲惨さよりも、非常に人間くさい登場人物そのもので、前半のラストシーン、反発し合ってた炊事班の全員が中里のこどもが生まれたお祝いに泡盛を飲み、三線の演奏を聞く場面だけで、もう充分じゃないか!という気持ちになりました…というか、戦火が拡がって悲しくなる後半が辛すぎる…と思いきや、後半の戦争の描き方もある意味ファンタジックで、個人的に今まで新劇に対して苦手に感じていた「思想の押しつけ」とは真逆の、余白のある展開でした。
ううむ…。
これはカンパニーの素晴らしさもあるでしょうし、それに加えて、自分の演劇の見方が少しずつ拡がっていったからなのかなぁ。
食わず嫌い、ダメ。浦岡さん、ごめんなさい。これからは幽霊会員から、アグレッシブ会員にジョブチェンジする所存です。
みなさま、ありがとうございました!