高知の演劇推進プログラム「あらし」(2014.10.18-19)
高知の演劇推進プログラム「あらし」いよいよ明日(あ、今日か)より小屋入りです。
稽古開始から今日までのさまざまな進歩を思う反面、まだまだ積み上げていく課題もはっきりしています。週末の本番まで、あと3回の稽古でどこまで届くのか。その本番が、観てくれたお客さんにどんな体験と現象を与え、種を落とし、芽生えを生むのか。
演劇の持つ可能性。映像ではなく、お客さんがいる中ではじめて成立し、検証できる多くの実験がその場でとりおこなわれると言った内藤さん。どんな本番になるのかはまだ見えないのですが、ここまでの稽古を見る限り、なにかを観る人に刻む芝居になるのは間違いないって思ってます。
お話のあらすじは非常に伝えづらいのですが、僕なりに解釈するのは「なぜ自分は社会に繋がろうとしているのか」ってことだと感じています。自分を含め、おそらくほとんどの人は「社会人ってのはそういうもんだ」って認識があり、そこにいろいろな自分の出したくないところを封じ込めて生きていく。そんな息苦しさを誰にも伝えないし、みんな大人だから我慢って思って生きている。それがいいのかなってお話です。
物語のおしまいは、まったく明確じゃなく、観る人に委ねています。
答えはないのです。
だからこそ、僕の好きな心ある人に観ていただいて、どんな風に感じたか、いっぱい語り合いたい作品なのです。
それを心の師匠と言うべき作・演出家と、大阪の実力派俳優(すんません)と、出演・スタッフ含め、高知の演劇人で作り上げる作品なのです。多くの人に観て欲しいのです。ホントに。
チケット予約受け付けまくり中(結局そこか)
初日2ステージ終了
まだまだ五里霧中
しかし目指すべき道はしっかり見える
そこにどれだけ近づけるのか
それはゴールじゃなくてスタート地点でもあるのです
本事業はそういうことなのです
昨日、無事「あらし」終了しました。文字通りあらしのような本番を経て、あらしのような打ち上げに見舞われ、完全に打ち上げられた状態で西本君といっしょに大道具類とすずむさんを万歳の稽古場に返却し、帰りの道中さすがにしんどさが押し寄せたものの、爆音でかけたandymoriの初期衝動爆発ファーストアルバムで元気を取り戻し、なんとか高知に戻ってきました。
ご来場の皆様、ご関係の皆様、心をお寄せいただいた皆様、本当にありがとうございました。
よし、感想文。しかし眠いししんどい…。でも関わった皆様の感想を読むうちに、やっぱし今書かねば…。中身までがっちり関わるとなかなか言いあらわせないのですが…。
初日が開けたときにも書いたのですが、今回関わった高知の演劇人がいろんな模索を続ける中で、愛情ある明確な言葉でそれぞれの足りない箇所に気付かせる演出家と、言葉ではなく芝居に向かう真摯な姿勢を見せつける大阪の実力派俳優の姿で、高知のみんながなにか前に進めるきっかけが生まれたらいいなってのが僕がこの催しを行うにあたっての一番ねっこです。
その中での本番。当然お客様に内藤さんの作品として恥ずかしくない、しっかりしたものを届けなければいけない中で、高知の演劇人はいまできる精一杯のことを、200%の力を出しました。ある若い役者はこの一ヶ月で信じられないような飛躍を遂げました。高知の一線で頑張る役者は、あらたな刺激でこれまでにない面も見えました。おとうさんは何度も目頭が熱くなったですよ。
が、それでも、もっと作品の持つ言葉にできない部分や、役者の心を届けられたのではないかという悔しい気持ちも芽生えています。それは板に立った役者だけはなく、制作や舞台の仕事をした自分の未熟さも痛感しているところです。
難しい。悔しい。
けどそれは一足飛びで到達する部分でもないでしょう。だからこそ、こういう種をまき続ける機会を作らねば、それが自分の仕事だから、ちゃんとやろうって思った次第です。そのためには自分ももっと学んで経験せねば。日々精進せねば。
お話については、あらためて書きたいなって思います。帰りの車中ですずむさんから聞いたことなど、まだこの作品の奥深さは理解できていないと思ったとこです。
最後に。今回いろいろ形で関わっていただいた皆様へ。またいっしょにお芝居作りたいです。どうぞこれからもよろしくお願いします!
個人的にはこの一ヶ月の飲み会完走で生まれた不摂生の結果を改善せねば。ランニング通勤復活せねば。12月の「ジャングル」までに体重を戻さねばという新たな課題が発生。