文学座「大空の虹を見ると私の心は踊る」(2020.07.08)
本日はかるぽーとにて高知市民劇場例会、文学座公演「大空の虹を見ると私の心は踊る」を見て来ましたよ。例によって感想文。
4ヶ月ぶりとなる市民劇場例会。
前回よりもさらに感染症対策を徹底した運営でしたが、お客さんはしっかり戻ってきたみたいです。
この状況で公演を成立させるために、最大限の努力をされている市民劇場さんの姿勢にはホントに頭が下がります。
個人的に感じるのは、規模が大きいとはいえ、こういった市民組織での主催と、文化行政サイドが主催する公演の熱量の差というか、中止にしても腹が痛まない立場と、1公演の中止が死活問題の立場の温度差といいましょうか…。
うううむ…(この辺の話を詳しく聞きたい方は飲みに行きましょう)。
さて作品。
個人的には演劇公演はランタイムが短いのが好き(今回休憩なしでランタイム2時間弱)、時代は現代、古い映画館が舞台のコメディと入りやすさ満点でした。
が。
が。
何だこの違和感。
登場人物のデフォルメされたキャラクター(ゲイ、ハゲ、デブ、引きこもり、老人、介護疲れ)の描き方と、デフォルメされた関係性。
百歩譲ってコメディとして、人間賛歌を描くという一点突破で通せばまだ見えたのですが、作品の一番のテーマはこの映画館を営む一家が抱える、若くして自死を選んだ家族にどう向き合うかというもので、胸が締め付けられるような終盤のお父さんの独白を中心とした、彼の死に関わった人物が背負う痛みの強烈さ・重さと、そのシーン以外で描かれるデフォルメされたキャラクターのバランスの悪さは…いったいなんだったんだろう。
着ぐるみをかぶった謎の登場人物(着ぐるみなのにこの表現力!!)をはじめ、確かにキャラクターは立ってて、客先から笑いや拍手の溢れるものでしたが、終盤のシリアスからのハッピーエンド感にはなんだか置いてけぼりにされた気分でした。
一方で、舞台美術は素晴らしかった!
まさに古い映画館のロビーそのもので、自分がこどもの頃に行った、松竹ピカデリーやテアトル土電、ポポロ東宝のロビーが浮かんでくるようでした。
あの、お菓子を置いている安っぽいガラスケース!なぜかどこの劇場にもあったよなあ。自販機の作りもおみごとで、舞台美術だけでノスタルジーを感じたのは初めてでした。
カビやホコリや湿った空気、そしてたくさんの思い出が積み重なるからこそ特別な場所であった劇場なのに、今、劇場にお客さんを迎えるために、真逆のことをしないといけないのは、なんとも皮肉なことです。
演劇。
たいへんな世界だ。
もうちょっと勉強します。