カンパニーデラシネラ「はだかの王様」(2021.03.06)

昨日は県立美術館ホールにてカンパニーデラシネラ「はだかの王様」を観てきましたよ。
4年ぶりとなるカンパニーデラシネラ。
高知県立美術館にてレパートリー作品を滞在製作し、全国の劇場や学校などで上演していくデラシネラ古典名作劇場の3作目です。
前回の感想にも書いたのですが、カンパニーと劇場のとても良い関係が続いて、回を重ねることで、クリエイションが熟成されていくのはとても素晴らしいですな。今回も戎井さん(高知の大道具屋さん)が大活躍してたのも嬉しい限りです。

さて作品。前作「ドン・キホーテ」との大きな違いは台詞がなくなったことです。
言葉の要素が排除されたことで、それ以外の身体性、音楽、舞台装置などの比重が高まり、明確なストーリーから、お客さんの受け取りに委ねるような創り方にシフトしていました。

ふえー。
これはなかなか。

今回は当日パンフレットもなく、終演後の(言語による)ご挨拶もなかったので、完全に手がかりがない状態。
あくまでも「ご自由にお楽しみください」ということなのか。
そうなると逆に頑張って読み解こうとしてしまい、なんだか追われた感じで舞台上の出来事を必死に追ってしまいましたが、うーん、分からないことばかり。

冒頭から何度も出てきた「枠」「フレーム」の意味することはなんだったんだろう?
藤田さんが郵便受けの前で待ち続けた手紙はなんだったんだろう?そして何を届けようとしたのだろう?
ときどき王様にもなっていたあの棒人間、暗転幕が上がって客席に座ってた時の、あの俯瞰の視点はなんだったんだろう?

使用しない客席をアクティングエリアにした見せ方や、舞台装置、音響など、美術館でのクリエイションを重ねることで洗練されていく演出と裏腹に、ノンバーバルに舵を切ったからこそ、大事にしないといけない部分を受け止められなかったような印象です。

もともと小野寺さんのパフォーマンスのベースはパントマイムで、パントマイムは言葉を使わない表現。
自分の知ってるパントマイムの作品は、言葉なんか全くいらないくらいに感情や情景が伝わるのですが、うーむ…。

そんなことを考えずに、もっと素直に、舞台に向き合ったら良かったな。
もったいないことをしてしまった…(と言いながらも、ちゃんとした方の劇評や、小野寺さんの解説を求めてしまうダメ人間)。