演劇どっとこむ「高松なう」(2015.02.22)
「高松なう」小屋入り稽古見学しました。じゃじゃっと感想。
一番の感想。すごい、多田さんの作品になっている。市民劇のフォーマットでここまで持っていくのか。
そして、そこに参加された12名の方々、素晴らしい。どうかこの経験をよい形に繋げてほしいです。
地方に暮らし、なぜ演劇を必要とするのか、なぜ演劇が地域に必要なのか、ひとつずつ考えて、ひとつずつ試していく発展材料が高松にはあると思います。
逆を言うと、このスタート地点を考えると、高松は文化行政と表現者の関係性では残念な点が多いように感じます。汗をかいて、泥をすすれる人間が、文化行政側にも、表現者側にも少ない気がする。極論だけど、マッチングしてないのは両者の問題だ。
いい作品を創ること、それを届けることは両輪だ。
あと数日でどこまで盛り返せるのか、頑張って欲しい。日曜観に行きます。
どうか多くの方に見てもらえますように。
前日の大阪観劇の後、朝6時まで神戸の津野宅で飲んでた(のは私ですが)高知チームはそのまま高松に移動し、東京デスロック多田淳之介さんが手がけた市民劇「高松なう」を鑑賞しました。
「高松なう」は小屋入り2日目の稽古を見学させてもらったのですが、そこから本番までの数日で飛躍的といいますか、ここまで洗練されるのか、と度肝を抜かれました。
出演されたのは12名の香川県民の皆さん。年齢も、演劇経験も、まったくバラバラの参加者の皆さんが作り上げるのは、まさに「高松なう」。高松という街にどう関わり、生きているのかを、戯曲ではなく、自分の言葉で伝える形で舞台は進行します。
自分が体験したことを自分の言葉で伝える圧倒的なリアル。小さなエピソードでも、人によってはなんでもないエピソードでも、当人の言葉で伝えると、どこまでもドラマチックに心に響きます。
街の物語は偉い人が生み出すのではなく、役所の人間がでっちあげるのではなく、そこに暮らす人の、なんでもない、小さなできごとが積み上がって生まれていくのだな。
エンディングが近づくと、小さなひとつひとつの物語が、バラバラの台詞や輪唱される台詞として舞台上に溢れます。「この舞台上こそが今の高松なんだ」と気付き、心が揺さぶられました。そして爆音で流れるPerfumeの音楽に合わせ、ランダムウオークをしていた皆さんが、それぞれ手を振ったり挨拶をしたりして(CEREMONYの挨拶の儀だ!)関わりや繋がりが生まれ、そして動きがスローモーションに変わる瞬間、涙が溢れてしまいました。
多田さん、ずるい(涙)。
出演のみなさん、キラキラすぎる(涙)。
制作面では多くの苦労もあったようですが、今回生まれた奇跡のような瞬間は、どうかさらに育んで欲しいなって思いました。そして僕らもこんな作品に向き合いたいし、そして繋がりあいたいなって強く思った、本当に素敵な舞台でした。
ご関係の皆様、ありがとうございました!!