努力クラブ「誰かが想うよりも私は」
とても印象的なフライヤーに惹かれ、何とか観劇しようとしたものの、仕事の関係で観ることができなかった努力クラブの新作。
終演後配信をしてくれたので、喜び勇んでテレビ観賞しました。
ちなみに前回努力クラブを観たのが昨年1月に神戸アートビレッジセンターで上演した「救うか殺すかしてくれ」。
今回は伊丹アイホールで上演されたのですが、いずれも各ホールが「次代を担う若手劇団を育成する」事業として努力クラブを迎えているのです。すごいぞ努力クラブ。
物語につきまして。
前回観た作品は、救われない男性の幸せになりたい思いが炸裂するお話でしたが、今回は女性の同様の思いを描いていくものでした。
元彼をキープして、告白してきた男性もキープして、今彼から新しく好きになった別の男性に乗り換えるために策を巡らせる女性。
「ありえないだろ」と思える展開と、あまりに自己中心的に見えて、実は心移りする時の彼女の中で生まれる「正しさ」のすさまじいリアリティ。
恋のまっただ中では、常識的に間違っている行動でも、当人にとっては正しい判断の上での行動なんですよね。
残酷で、でも失笑してしまうような可笑しさ。
このギリギリの感じが努力クラブの魅力なのかも知れません。
そしてこの物語を表現する俳優さん。
無闇に手をブラブラさせたり、ボソボソしゃべったり、いわゆる俳優訓練では「してはいけないこと」とされることにあえて挑んでいるような、作品を成立する・破綻させるギリギリのラインに立って展開される表現。
舞台もそうで、広いアイホールの舞台に5寸あがりかな?何段にも組まれた平台は、パンチも敷かず蹴込みもせず、歩くときの軋み音をあえて出すようにしているみたい。
いずれもお客さんを安心させないような、不安定さの中で展開される物語も努力クラブの個性なのだろうか。
観劇後も胸の中に何かしらの不安感が残る、そんな劇体験でした。
これはクセになるかも知れない。
次回公演は劇場で観れますように。