お國と五平上演プロジェクトin八畝(2016.09.25)
本日は大豊町八畝での野外劇「お國と五平」を見てきました。
本年7月に美術館で上演し、その後富山県利賀村での演劇人コンクールで奨励賞を獲得した本作品。
この企画を最初に知ったのは、初演前に審査のあった某助成金審査の企画書でした。
実をいうと最初に企画書を見た時点では「なぜ大豊町に作品を持って行くか、その意義が見えない」という印象でした。
「素晴らしい作品を創って、演劇を見る機会のない地域で上演してあげますよ、僕らって偉いでしょ」だったら、地域の方にとってはなんじゃそりゃ?ですし、作品を持って行く以前に地域の方とどう繋がって、作品を上演することで何が見えてくるかが大事じゃないかなと思ってたのですが、そんな心配はなんのその。
そもそもこの地区において数年がかりで活動をされている高知大学農学部さん、地域協働学部さんの頑張り、地域の方との信頼関係の上に、藤岡さん達の文化芸術の力が加わることで、地域の方が純粋に作品を楽しめる環境や地域外の観客との交流が生まれたようです。やはり必要なのは丁寧な下準備ですね。
高知からのツアーは演劇鑑賞だけでなく、地キビの収穫体験や地元の料理を楽しむ、八畝の魅力を十分に楽しめるプログラムだったようです。
自分は仕事の都合で、遅れて公演のみを観にいったのですが、道中の天候は雨が降ったりやんだり。時々激しく降ると思えば、晴れ間が見えて虹が出たりというお天気で、おそらく雨天用の会場(八畝集会場)でやるかどうかギリギリまで悩んだのでしょう、自分が会場に到着した上演10分前の時点で、みんなが必死に仕込んでいる状態でした。
当初の開演予定時刻を超え、当初アフタートークを行う予定がプレトークに変わり、その際パラッと雨が降ったものの、上演時は、奇跡的に雨は一切降りませんでした。客席にはツアー参加者に加え、地域の方も多く見え満席に。
そして本番。
開始直後、いろんな段取りが狂っていたせいか、客席に漂う若干散漫な空気。そしておそらく満足なリハーサルができていないことが原因であろう、マイクレベルの違和感。
そのマイナス要素に負けない俳優陣の集中力と熱量、そして舞台越しに見える暮れていく山間の景色。舞台美術、照明。はじめて演劇を見る方も多くいたと思うのですが、客席が舞台に引き込まれていく感じが十分に伝わってきます。
お話はシンプルで分かりやすい仇討ちもの。
しかしその中でそれぞれの弱さを隠し、さらけ出し、葛藤する3人の登場人物。
特に山田君演じる、将来を誓った相手に裏切られ、卑怯な手段でその結婚相手を殺害し、仇討ちの相手となりながらも彼女への愛情が抑えられない友之丞という役の、愛、増、そして生への執着心、彼が嘆く「生まれながらの才能を持たない人間は、美や才能ある人間に対して虐げられるだけの存在でしかないのか」という思いなど、自分自身が日常で感じるような(いい意味での)いやな引っかかりを感じて、それが舞台の上のリアルな人間像として浮かび上がり、少なからず自分を投影して見たりもしました。
鈴木さん演じるお國の凛とした中に漂う色気とずるさ(美人は結局ずるいねん)、自分が見た中ではヘッダーガブラー以来となる西村さんの演じた五平の生真面目さといっしょに醸し出す哀れさや滑稽さも、すべて普段の身の回りにも感じることができるようで、古典でありながらも、現在の日常の一瞬を切り取ったような作品でした。
終演後、隣に座ってた地元のおばあさんが「いやあ、引き込まれたねぇ」って何度も言ってたのが非常に印象的です。
きっとまた、こんな作品をここに届けていけたら、もっともっと素晴らしいんじゃないかなーと思える、とっても幸福な観劇体験でした。
みなさま、ありがとうございました!