シアターTACOGURA「いかけしごむ」(2017.04.07-09)
さて、シアタコ「いかけしごむ」の感想文だ。
お手伝い(舞台監督)で入っていたこともあり、内側からの視点もあるし、けど純粋な観客としてもちゃんとした作品の評価をしたいし、ってことで二部構成で書きます。
劇団に近い目線としては、今回客演を迎えず、生え抜きのメンバーでこの作品に臨んだことに、作品制作を通じて劇団員を育成するという意志があったのかなー。昨年の「民衆の敵」、そして利賀演劇人コンクールの「お國と五平」などの、外部から力のある客演を迎える形からの大きな変化。内藤さんが言ってた「劇団員は下手でもいいんだよ、いくらでも鍛えられるから」って言葉を思い出しました。
なんだかんだ言って、自分は兄(吉岡裕太)、まゆさん(伊藤麻由)、若(友野大智)が出ている作品をほとんど見ていまして、こども向け公演や怪談や、今回のような骨太の作品もそう、いろんなスタイルの作品を経験することで少しずつ演劇の幅を広げているのかなーと。特に兄は不器用なりにも、ホントに不器用ながらも、3歩進んで3歩下がったりしながらも、いくらでも諦めたりくじけたりする場面を迎えながらも、決して諦めないで立ち向かう中で、少しずつ少しずつ成長してるなーと思いました。兄の成長物語に目を細める一方で、前には向かってはいるけど目指すべき到達点は遙か遠いところにあるように思えて、歩み方(稽古の仕方)をもう少し考えなきゃいけないのかなとも思った次第。
作品的には藤岡さんはこれまで「いかけしごむ」を2回演出しており、今回が3回目。過去の実力ある演劇人と作った作品とも比較されるし、直前に蛸蔵で開催されたシアホリ「サド侯爵婦人」、世界劇団「班女」とも比較される中、ちょっとないプレッシャーだったのかな。
その中での作品作り。おそらくテキストを丁寧に読み解くことに比重を置いた演出のように感じました。とは言え、戯曲の奧にある世界を演出家がどう感じて、どう提示するのか、「俺はこの戯曲を通じて、こんな世界が見えた」「作品を通じて今の世にこういうことを言いたい」という、おそらくこの作品を作るうえでの一番面白い面をかなり抑えて、お客さんに見え方や判断を委ねるような作り方は、残念ながら消化不良だったかなー。
そういう面では、土曜のマチネ後に開催されたシアタートークカフェ(ワールドカフェ)は、予想以上の盛り上がりとなりました。高知では初の試みの、鑑賞者がそれぞれに感想を共有する取り組みで、その進行は自分が請け負いました(言い出しっぺの人がそれどころじゃ無くなったため)。
各テーブルに分かれて、質問に対してそれぞれが思った答え(感想)を出し合うという流れで行い、その中で考えた質問は、
①好きなイカ料理(自己紹介)
②作品中、男の言っていることと女の言っていることのどちらが本当(ウソ)に感じたのか?
③不条理劇の不条理の部分をどこに感じたか?
④1989年に発表された作品が、今の時代、今の社会にどう繋がっている(もしくは繋がっていない)のか?
という質問ごとに解答が難しくなるようにしたのですが、参加された皆さんの感想が想定以上に豊かで、自分自身も一緒に楽しめる時間となりました。
僕自身はこの作品を通じて、今の社会・政治に感じる「無理を通せば道理が引っ込む」感じや「少しずつ、いつの間にか大変な社会に変容している」不安感を感じたのですが、果たして、他のお客さまはどんな感じ方をしたのか、もっと語り合いたいなー。
スクエアで暗幕に覆われた静寂感のある舞台空間、そして神谷さんのシンプルなのに心情が浮かぶ照明は、超好みでした。
斉藤Qちゃんさんの丁寧な音響オペもステキ!また一緒にやりましょう!!
(初日(金曜ソワレ)の調光ユニット暴走はおおごとでしたな。舞台人生初の体験。舞台の怖さを思い知りました。)