「アートプロジェクトを考える」(2017.09.23)

昨日の藁工ミュージアムさんのトークイベント「アートプロジェクトを考える」に参加して、思ったこと。

博物館側の視点の「残すこと」「後世に伝えること」は間違いなく大切なことで、福島県立博物館さんの取り組みは、50年100年先を見据えた素晴らしいものでした。
資料を調査、収集、保存し、研究した成果を企画展などで広く伝えていく。博物館の使命ですよね。
こういったすぐに成果の出ない地道な仕事は、自分には性分として絶対にできないと断言できるので、想いをもって取り組む学芸員の方や、アーティストの方には尊敬の念しかありません。

そしてアートの持つ力として、社会を映し出す力とコミュニティの形成力ってのはやっぱり特別なものだよなー。こういう仕事に携われて幸せだなー。しみじみ。

ほんで自分を鑑みて、どうやって企画を立ち上げるかを考えると、一部の催しは最初に目的ありきでやったりするものの、大半は衝動的なものが多いよなーと思ったことでした。

誰かと話をしたり、お酒を飲んだり、人を引き合わせる中で生まれる偶発的なものを「面白くなりそう!」って膨らませていく作業。
そこで生まれた企画が自分のコントロールを超え、勝手に育っていって、あとで意味が見えてくるような。
ある意味投げやりな、出たとこ勝負なんだけど、そこはこれまでの経験で事前にぼんやり方向性を感じることができる。

おお、割と表現者側に近い感じじゃね?
ふはははは、表現者気どり。
なんてことをぼんやり考えていた次第。

表現者と決定的に違うのは、自分の中から生み出すものはホントに少なく、誰かの何かを引き出したり、媒体になることで生み出す感じかしら。
事例報告でお話ししてた、すさきまちかどギャラリーのホゲ嬢にも通じるものがあるんじゃないかしらねー。
と真面目に自分を振り返る、よい機会となりました。
藁工ミュージアムさん、いつもありがとうございます。

で、その後は当初予定していなかった懇親会になだれ込み、福島出身の岩佐さんや、福島から来られた講師陣の前でインチキ福島弁を連発してひんしゅくを買い、その後は来週の本番に向けて作業してたシアタコなおみさん、Qちゃんさんとなぜかカラオケに行き、3:00まで歌い倒して、最後にQちゃんが歌ったさだまさしの「デイジー」にしんみりして、しんみり帰って気絶して二日酔いのまま出勤して現在に至る。

(|||□□)「もうお酒のまない」