清水宏のひとり大河ドラマ「仁義なき水戦争〜高松死闘編」(2018.02.28)
本日は高松・瓦町FLAGにて、清水宏のひとり大河ドラマ「仁義なき水戦争〜高松死闘編」を見てきましたよ。
例によって感想文ですよ。
まず企画について。
シアデザの植田さん川田さんが高松(というか四国)に清水さんを引きずり込み、各地で公演を打つ中で、高松市文化芸術振興課の担当者さん(柳生さん)が引っかかり(言い方が乱暴ですね、ご指摘があったら訂正します)、今回高松市主催のAIR事業として本公演を開催するというこの流れには、衝撃を受けました。
ありえない。
いろいろありえない。
シアデザと高松市が、それができる関係を築きあげているというのは、とってもうらやましくって、とっても素晴らしいことでぜ!
スタンダップコメディアンが、(前回公演の感想で僕が書いた)搾取され続ける側の小劇場の演劇人がw、ちゃんと文化行政の仕事として作品を作るという、これだけでも十分に感動物語になるんじゃないかしら?
ただしかし、制作体制の詳しいことは分かりませんが、勢いのあるフライヤーのデザインの中で高松AIRの説明のなんともダメダメな行政文書が混じっていることや、チケット料金や(今回これだけ安くしたら、次回の清水さんの通常公演どうするの?)、舞台のお金のかけ方など、なんだか協働の仕方がうまくいってないんじゃないかなーなんて空気も感じました。
あと高松市がこういう事業を行うのと、高松市の文化財団(主にサンポート事業担当)はリンクしてなさそうで、それもまたもったいないような気がしたことです。
この辺については、いろいろ言いたいこともあるのですが、まー、こういうことをグチグチ書いてもいかん!
作品について!!
作品…。うーん…。
おそらくこういった行政から依頼を受けての作品制作というのは、清水さんははじめてだったと思うのですが、結果清水さんの生真面目さ故に、純粋な作品の面白さに100%昇華できなかったんじゃないかなーと思いました。
「須崎のまちの物語」でも、取材させていただいた方のちょっとした一言を作家が勝手に膨らませて作り上げたりもしてるのに(もちろんフィクションというお断りをしています)、おそらく今回は、ほとんどがノンフィクションだったんじゃないかと。
お話としては節水の中、それぞれの立場で苦労した人たちが、最終雨が降って良かったね、となるのなら、フィクションでもいいので思いっきりフックになるような人物や、例えば悪者がいた方が物語としてしまるだろうになー。
けど、あえてそれをせずに頑張った清水さんの人柄よ。
言葉通りの高松死闘編を経て、清水さんが新しいステージに昇ったのかもしれないな。
けどけど、個人的には今回は本編が始まる前の、高松AIRの説明のくだりの箇所が一番面白かったです、ごめんなさい。
良くないことばかりを書いてしまったけど、これが高松の文化行政に風穴をあける一撃目でありますように!
(いぢわる感想のせいか、帰りの道中はめっちゃくちゃ凄い豪雨で、雨の神様に怒られてるのかと思ったわたしでした)